設計一般

気づかれずに成立させることを、腕だと思っていました

ichimatsu

新人だった頃の話です。

退職する先輩に、贈り物をすることになりました。ピストンをアクリルケースに入れて飾る。ケースの面には、職場のみんなで寄せ書きをする。そういう案でした。

準備をしていて、ひとつ問題に気づきました。

アクリルケースには台座があります。差し込むと、ケースの下のほうが隠れます。そこに書かれてしまえば、読めなくなる。

私は、どう周知するかを考えていました。掲示に添える文面です。書いてほしくない範囲を、どう説明すれば伝わるか。下から何センチ、では分かりにくい。図を添えるべきか。口頭でも誰かに言ってもらうべきか。

そうやって文面を練っていたら、当時の上司がやってきて、付箋を貼り始めました。

ケースの、ちょうど書いてほしくないところに。ぐるりと。

こうやっておけば、自然と皆避けてくれるじゃん。

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誰も、お願いされていません

結果は、その通りになりました。

隠れる場所には誰も書きませんでした。文面は用意されず、説明もされず、注意もされていません。それでも、一枚も外れなかった。

いま思えば、あの時三つのやり方がありました。

ひとつめは、私が考えていたやり方。全員に、正しく書いてもらうようお願いする。全員が文面を読み、理解し、守ってくれれば成立します。裏を返せば、一人でも読み飛ばした時点で成立しません。

ふたつめが、上司のやり方。書けない状態を作る。読まなくても、理解しなくても、守る気がなくても成立します。

そして、みっつめがあります。

自分が、あとで直す。書かれてしまった面を台座の裏側に回すなり、貼り直すなり、なんとかする。誰にも何も言わず、成立だけさせる。

当時の私は、ひとつめしか思いつきませんでした。上司にふたつめを教わりました。言葉で頼むのではなく、そうせざるを得ない状態をつくる。良い話を聞いた、と思いました。実際、良い話です。

ただ、そこから十数年、私が現場でやっていたのは、みっつめでした。

そのことに気づくまで、ずいぶんかかっています。

調整代を、一人で持っていた

設計をしていれば、調整代という考え方は当たり前に使います。

部品は必ずばらつきます。どれだけ精度を上げても、公差はゼロになりません。組立が成立するかどうかは、個々の部品の精度ではなく、ばらつきの累積が許容範囲に収まるかどうかで決まります。「規格内」のボルトが量産で緩むで書いたのも、規格内に収まっていることと、狙った状態になっていることは違う、という話でした。

ここで有効な手が一つあります。

どこか一箇所に、調整するための部品を入れること。

シムを入れる。選択組付にする。一部品だけ公差を詰める。最大実体公差方式のように、条件によって緩められる余裕を設計側で用意しておく。そうすれば、他の部品が多少ばらついても、組立は成立します。全部品の精度を上げるより安く、確実です。設計としてまっとうな手法です。

ただし、条件が一つあります。

その調整部品や調整機能が、図面に描かれていること。

描かれていない調整代

描かれていなければ、どうなるか。

他の部品は、自分のばらつきが吸収されていることを知らないまま作られ続けます。そして、それでも組立は成立します。データ上、何の問題も出ません。

だから、こう認識します。

自分たちの精度は十分だ、と。

これは嘘ではありません。実際に組立は成立していたのですから。測定結果も、検査記録も、すべて正常。認識が誤っているのではなく、認識の根拠になっているデータが、吸収された後のものだった。それだけのことです。

問題が出るのは、調整機能を持っていた部品が変わったとき。あるいは、なくなったとき。

その瞬間、組立が成立しなくなります。しかも、原因が特定できません。

誰も、自分がばらついていた自覚がないからです。

描かれた調整代と、描かれていない調整代

ここからが本題

ここまでは部品の話です。

私は長いあいだ、自分を調整代にしていました。

担当していたのは、製造リードタイムが長く、仕様が固まるのが最後になる大物部品です。中身が決まらなければ形が決められない。それなのに、一番先に手配しなければ間に合わない。しかも作り直しが効かない。順番が最初から破綻している部品でした。

その上、当時の私はサブの立場でした。リーダーは相方。表立って全体の進め方に口を出せば、角が立ちます。

だから、こういう聞き方をするようになりました。

そういや、日程ってどうなってるんでしたっけ。

日程が引かれていないことは、とっくに分かっています。分かった上で、今思い出したような顔をして聞く。相手は「そういえば」と言って、自分で引き始めます。

レイアウトが成立しないと感じたときは、こうです。

そういや前に、こういうレイアウトで成立しなくなった事例があったんですよ。

指摘ではなく、雑談として置く。相手が自分で照らし合わせて、自分で気づく。

やっていたのは、相手が何を見えていて何を見えていないかを読み取り、見えていない部分だけを、気づかれない形で渡す作業です。

これは、うまくいきました。角が立たない。相手の面目も潰れない。日程は守られる。

そうこうしていると、仕事が回り始めました。うまく機能したんです。そして範囲を広げていきました。

広げられること自体が、うまくいっている証拠だと思っていました。

上流の計画が固まらなければ、下流は何度でもやり直しになります。だから、決まっていない項目を洗い出して、決められる形にしてから渡すようになりました。製造側が形にできずに止まっていれば、こちらの都合で成立する案を作って、こんなのはどうでしょうと持っていきました。

広げるほど、開発は回りました。実際に回っていたのです。

そして、図面には私がいた証拠は残しませんでした。

むしろ、描かないことを腕だと思っていました。気づかれずに成立させる。誰の顔も潰さずに前に進める。それができることを、自分の技術だと思っていました。

公差解析に乗らないもの

図面に描かれていない調整代は、公差解析に乗りません。

つまり、組織の誰も、それをリスクとして計上できません。日程にも、体制図にも、引継ぎ資料にも、どこにも現れない。存在しないことになっている調整代が、実際には組立を成立させている状態です。

そして、吸収されていた側は、自分たちがうまくやっていると認識します。

ここが一番こたえるところなのですが、その認識は間違いではありません。実際に開発は成立していたのですから。納期も守られていた。品質も出ていた。評価される理由が、ちゃんとあった。

ずれていたのは、成果ではなく、成果の帰属です。

そして、ずれた帰属のまま、評価が決まり、配置が決まり、人が動きます。

その後どうなったかは、だいたい想像がつくと思います。調整代が抜けた組立が、どうなるか。設計者なら、誰でも知っていることです。

あの付箋は、格好よくありませんでした

アクリルケースに、付箋がぐるりと貼られている状態を思い出してください。

正直なところ、格好よくありません。粘着の跡も残ります。私が練っていた文面のほうが、よほどスマートに見えたはずです。

それでも、あの付箋には、私のやり方になかったものがありました。

誰の目にも見えたこと。

貼ってある理由は、見ればだいたい分かります。分かるから、剥がすことも、貼り直すことも、次に同じ場面が来たときに真似することもできます。あの人がその場を離れても、付箋は効き続けました。効かせていたのが付箋であって、あの人ではなかったからです。

私のやり方は、そうではありませんでした。

見えないようにやることが、腕でした。相手が自分で気づいたと思うように渡す。角を立てず、面目を潰さず、成立だけさせる。

洗練されているのは、たぶん私のほうです。文面を練るより、自分でなんとかするほうが早いし、綺麗に収まります。

ただ、洗練されるほど、見えなくなりました。

見えなくなるほど、残らなくなりました。

付箋は残り、気づかれない渡し方は残らない

ふたつめとみっつめの違いは、仕組みか人か、ではありません。人が担っていても、それが見えていれば、日程にも体制図にも書けます。書けるなら、抜けたときの手当てもできます。

分かれ目は、見えるかどうかでした。

上手さと、残ること。この二つは、逆を向くことがあります。私が十数年かけて磨いたのは、上手さのほうでした。

では、描けばよかったのか

そう単純でもありません。理由が二つあります。

ひとつは、描いた瞬間に、機能が変わることです。

調整代が調整代として働くのは、それがどこにも割り当てられていないからです。誰の担当でもないから、必要なところへ配れる。

明示した瞬間、それは担当になります。担当には範囲があり、範囲の外には手が出せません。そして周りは、そこが吸収してくれることを前提に、最初から公差を広げてきます。

日程の予備日と同じです。書けば、食われる。

つまり調整代は、調整代として認識された時点で、調整代ではなくなります。隠していたのは保身だと思っていましたが、いま整理すると、機構としては筋が通っていたことになります。正直に言えば、そのほうが楽だったのも本当です。たぶん、両方でした。

もうひとつは、描き方を知らなかったことです。

当時の私に言えたのは、「僕が吸収しています」までです。何をどうしていて、なぜそうしていて、それで何が良くて、何が良くないのか。そこまで説明できませんでした。

言葉のない申告は、申告として機能しません。なんだこいつ、で終わります。

図面は、描き方を知らなければ描けません。描かなかったのではなく、描けなかった。意志ではなく、記法の問題でした。

描くことを、一つだと思っていました

ここまで書いておいて、引っかかることがあります。

同じ時期に、教育を業務として日程表に載せた話も書きました。あちらでは、載せたから機能した、載っていなければ指導があったこと自体が見えない、と書いています。

片方で、書けば食われると言い、もう片方で、書かなければ残らないと言っている。

どちらも実感です。だとすると、描くという行為を一つのものとして扱っていたほうが、間違いだったことになります。

日程の予備で考えると、はっきりします。

予備を三日持っているとします。これを日程表に「予備 三日」と書けば、食われます。前工程が遅れれば、そこから充当される。次に何か起きたときに、吸収するものが残りません。

では、こう書いたらどうか。

日程の予備を管理しているのは誰か。

書いても、三日は食われません。むしろ、その人に予備を配る権限が付きます。前工程が遅れたときに、黙って消えるのではなく、その人が判断して配ることになる。

同じ「書く」ですが、書いた対象が違います。前者は量です。後者は役です。

分かれ目は、それが相手の判断の材料になるかどうかでした。

余裕が何ミリあるかを知れば、上流は詰めなくてよくなります。だから食われる。誰が吸収を担っているかを知っても、上流の設計値は何も決まりません。だから食われない。

公差解析でも、同じことをやっています。組立工程に吸収機能があることは、解析表に計上します。というより、計上しなければ解析が成立しません。それでも、上流が勝手に広がるわけではない。解析表は、上流が自分の公差を決めるときに開く資料ではないからです。

同じ数字でも、渡す先が違えば、食われるかどうかが変わります。

そう考えると、あの付箋にも続きがありました。見えていなかったのは、どこに貼るかの判断のほうです。台座で隠れる範囲を見積もって、位置を決める。そこだけは、あの人の中にありました。

手順は見えていて、匙加減は見えていない。

私が長いあいだやっていたのは、両方を隠すことでした。

前者を守るためには後者も隠す必要がある、と考えていたのだと思います。名前が載れば、量も推定される。だから、図面にも、日程表にも、議事録にも、自分がいた証拠を残しませんでした。

いま整理すると、隠す必要があったのは量のほうだけでした。

そして、役まで隠したことで起きたのが、さきほどの帰属のずれです。

日程表に書くのは、量ではなく役です

具体的には、こういう行です。

未決事項を洗い出して、配り直す役。

何件洗い出しているかは書きません。何を吸収したかも書きません。書くのは、その機能が誰に割り当てられているか、それだけです。

量が分からなければ、あてにする対象がありません。それでいて、その役が抜けたときには空欄になるので、抜けたことは分かります。

日程の予備と同じです。三日は書かない。管理する人は書く。

ただし、これには前提があります。

行を足すのは、担当者の一存ではできません。誰かがその役を認め、業務として割り当てる必要がある。そして認めてもらうには、それが何をする役なのかを、こちらが説明できなければなりません。

記法の問題は、まだ半分残っているということです。

あなたの職場の、調整代はどこにありますか

犯人を探すための問いではありません。描ける状態にするための問いです。

自分が調整代になっていないか。

  • 自分がやったほうが早い、と思った回数を、今週分だけ数えられますか
  • 自分の貢献のうち、日程表・体制図・議事録に名前が残っているものは、どれくらいありますか
  • 明日から一ヶ月休むとして、何が止まるかを、あなた以外の誰かが説明できますか

自分が吸収されていないか。こちらは、自分では測れません。他人の動きから逆算します。

  • ある人が入ると決まる会議、入らないと決まらない会議に、心当たりはありますか
  • 誰かが休んだ週に、理由を説明できない手間が増えたことはありませんか
  • 「そういえば」から始まる質問を、最近されませんでしたか

まとめ 描かれていない調整代は、計上されない

  • 調整代を一箇所に集めるのは、設計としてまっとうな手法だ
  • 成立の条件は、それが図面に描かれていること
  • 描かれていなければ、吸収されている側は、自分がばらついている自覚を持てない
  • ずれるのは成果ではなく、成果の帰属だ
  • 帰属がずれたまま、評価が決まり、配置が決まり、人が動く
  • 分かれ目は、仕組みか人かではない。見えるかどうかだ
  • 上手さと、残ること。この二つは逆を向くことがある
  • 描けば解決する話でもない。量を描けば、調整代は担当になり、食われる
  • 食われるのは量のほうだけ。誰が担っているかは、書いても減らない
  • 分かれ目は、それが相手の判断の材料になるかどうか
  • 日程表に書くのは、吸収した量ではなく役

描くのが正しいのか。長いあいだ、職場ごとに違うとしか言えませんでした。いまは、少しだけ分けて言えます。量を描くかどうかは、たしかに職場ごとに違う。ただ、役のほうは、書いておいたほうがいいと思います。抜けたときに空欄になるものと、何も残らないものとでは、次に入る人の立場がまるで違うので。

ひとつだけ確かなのは、公差解析に乗っていないものは、どれだけ精密に組み上がっていても、成立の根拠がないということです。

ここまで書いてきたのは、当時の自分に渡したかった言葉です。同じ位置にいる人が、誰かに説明するときの記法として使えるなら、それでいいと思っています。

このシリーズで書いたことを、記事より体系立てた形にまとめるか考えています。作る前に、読んでいる方の声を聞かせてください。30秒・匿名で構いません。

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ABOUT ME
一松(いちまつ)
一松(いちまつ)
大学院(機械工学専攻)修了後、機械設計エンジニアとして設計一筋20年
大学院(機械工学専攻)修了後、製造業で機械設計に従事。20年以上、動力機器の設計開発に携わっています。現場の知見から「考えるための情報」を発信しています。
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