設計一般

型を守るほど、見えていた仕事が消える

ichimatsu

「あなたのための時間です。なんでもいいので、議題を出してください」

そんな一言から始まる1on1を、経験したことはないでしょうか。上司は時間通りに来ます。テンプレートに沿って質問を投げます。マニュアル通りの運用です。しかし部下は、「大丈夫です」の一言でその時間を終わらせる。あるいは、上司の側が抱えていた話題を、いつの間にか、部下の側が受け止めている。

型通りに回っているのに、何も起きていない。そういう時間があります。

上司が悪意で運用をゆがめているわけではありません。むしろ真面目に、教科書通りに、導入された型を守っています。1on1という型は運用されています。頻度も守られ、テンプレートも埋められ、記録も残っています。それでも、部下と上司の間で、何かが噛み合わない。

この記事は、その噛み合わなさの背後にある構造の話です。型が忠実に運用されるほど、その型の外にあるものが視野から消えていく——そんな現象について書きます。

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型は、外側を含んでいない

上司には、悪気はありません。マニュアル通りに1on1を回しています。頻度も守り、テンプレートも埋め、記録も残しています。管理層に「1on1を運用している」と報告できる形は、しっかり整っています。ここまでは、間違いなく、正しい実行です。

しかし、型は、型の外にあるものを含んでいません。1on1のマニュアルには、たしかに「相互理解」「信頼関係の構築」といったフェーズが用意されていることが多いです。ただ、そのフェーズを回すこと自体は、型には書き込めない技術です。相手の緊張を読む、雑談で場を柔らかくする、話しやすい間を作る——こういう動きは、フェーズ名として書けても、動作としては書けません。手順の名前は書けても、手順の中身は書けない。書けない部分は、運用者の側の技量に委ねられます。

運用者の技量がその場に足りていないと、フェーズが用意されていても、そのフェーズは空回りします。「なんでも話していい」と言われても、関係性のベースが薄い相手からは、話す材料が出てきません。「大丈夫です」で終わる時間は、部下の側の遠慮ではなく、ベースが敷かれていない場での自然な反応です。

ここで扱うのは、特定のメソッドの是非ではありません。どのメソッドであれ、忠実に運用するほど、その型が想定していない部分が視野から抜け落ちる——そういう構造の話です。上司も、教科書も、悪くはありません。ただ、教科書に載っていないところは、教科書だけを見ている人には、見えなくなります。それだけの話です。

書けない部分は、現場が黙って引き受ける

型が担えない部分は、誰かが担っています。

日常的に「話しかけやすい空気」を維持している人が、職場には必ずいます。忙しそうでも、質問を受けるときは手を止める。相手の話をひと通り聞いてから、自分の判断を返す。返したあと、次にまた来にくくならないよう、言い方を柔らかく整える。そういう小さな積み重ねが、周囲にとっての「相談できる先」を作っています。

こういうベースは、目には見えません。時間を計測されることもなければ、成果として報告されることもありません。ただ、そのベースがあるから、部下は困ったときに誰かに話しに来ることができます。ベースがなければ、困りごとは誰にも共有されないまま、静かに漂います。

私自身、日々のなかで、この「話しやすい空気」を意識して維持しています。部下は、上司ではなく私のところに来ます。理由を尋ねると、答えは決まっています。「あなたが、話しやすいから」。それだけです。しかし、その空気を維持するのは、小さな労力の積み重ねです。忙しいときに手を止めること。急いでいるときに、口調を柔らかく戻すこと。相談の途中で切り上げなければならないときの、次への繋ぎの一言。

こういう労力は、型の外にあります。だから、可視化されません。可視化されないものは、評価もされません。しかし、それがなくなった瞬間、部下は行き場を失います。

飛び越えられる、ベース

そのベースは、上から飛び越えられることがあります。

現場が築いた話しやすい空気の上を、型を回す側が飛び越えていく——という現象があります。1on1という型は「部下のための時間」として運用されているはずですが、実態は違うことがあります。部下は用意していた自分の議題を出さないまま、いつの間にか、上司が抱えている組織課題の相談を、部下の側が聞いている——そういう時間になります。

これは、上司が意図的に反転させているわけではありません。上司自身も、自分の困りごとを抱えていて、それを話せる相手がなかなかいない。目の前に、話を聞いてくれそうな相手がいて、時間はある。型は「部下のための時間」と定義されていますが、その定義は、上司が話し始めることを禁止していません。

結果として、型の形は守られたまま、中身は反転していきます。「あなたのための時間」と言われて始まった1on1で、話し終わったあとに残るのは、部下の側の疲労です。自分の議題は扱われず、代わりに、上司の悩みを受け止めていた。

飛び越えられているのは、ベースそのものです。関係性を築く小さな労力の上を、型が軽々と踏み越えて、その上を歩いていきます。踏み越える側には、下の土台がどう作られているかは見えません。土台があることを前提として、その上で型を回しています。

私自身、この飛び越えを何度も経験しました。自分に何を求められているのかを尋ねる時間として設定されたはずの1on1で、返ってきたのは「部下たちが、なぜ私ではなくあなたに質問しに来るのか」という、上司の側の悩みでした。私は、それに答えているうちに時間が終わりました。私が用意していた問いは、次の機会に送られました。次の機会は、来ませんでした。

1on1という型が守られたまま中身が反転し、下の関係性ベースは見えないままになる構造

評価が、非対称を増幅する

ここに、もう一つの層が乗ります。評価制度です。

多くの職場で、評価の対象になるのは「やったこと」と「最終アウトプット」です。何をどれだけ実行したか。どんな成果を出したか。数値化できるもの、報告できるものが、評価の物差しになります。

一方で、ベースを築いた労力は、評価の物差しに乗りません。話しやすい空気を作った時間、事前に潰した引っかかり、他部署との調整で崩さなかった信頼——こういうものは目に見えず、数字にもならず、報告書にも書きにくい。「起きなかった事故は数字にならない」という言い方を別の記事でしましたが、同じ形が、ここでも成立しています。

こうなると、成果を刈り取った人が評価される一方で、ベースを築いた人は、評価の対象にすら入りません。型は、型が想定した動きだけを見ます。想定の外で回っている労力は、評価から見えないまま、そこにあります。

評価が非対称になると、次に起きるのは、行動の非対称です。人は、評価される動きに時間を割きます。数字が出るタスクに寄っていきます。ベースを築く労力は「割に合わない」ものになり、担う人が減っていきます。減った分だけ、型の外側は、少しずつ空洞になっていきます。

昇進経路と、現場感覚は別軸

もう一つ、道具立てとして書いておきたいことがあります。

管理職として昇進していく経路と、現場での判断力を伸ばしていく経路は、必ずしも同じ軸に乗っていません。両方持つ人もいれば、片方だけの人もいます。管理職として昇進した人が、そのまま現場の判断力を持っているとは限りません。

管理職側で昇進してきた人が、自分にはない現場感覚を補うために、外部から導入された型に頼るのは、自然な流れです。マニュアルがあれば、判断の代替になります。型を守っていれば、責任は果たされたことになります。

ただ、これはあくまで「代替」であって、現場感覚そのものではありません。マニュアルは、想定された場面には効きますが、想定の外の場面には効きません。想定の外を扱うのは、型ではなく、その人自身の判断力です。その判断力がない場合、型の外の場面は、ただ処理されないまま残ります。

この分離は、次に書く時代の話を読むための、道具立てになります。

引き抜かれた者、引き抜かれなかった者

十年以上前、私は別の部署にいました。中核となる部品の設計を教わっていた頃です。教えてくれたのは、四つ上と二つ上、二人の先輩でした。

その部品は、多くの部門が関わって形が決まっていくものでした。仕様が最後に決まる部品で、周辺の部品が固まらないと形が定まりません。プロジェクトの中で、いちばんリードタイムの長い工程を担っていました。多くの他部門と調整を重ね、少しずつ形を絞り込んでいきます。

二人の先輩は、この仕事を、独特のやり方で回していました。プロジェクトの初期、周辺の情報がまだ揃わない段階から、動き始めます。他部門のメンバーと会話し、その裏で、彼らの検討ファイルを見に行きます。会話と資料の両方から、その担当者がどこまで考えを詰めているのか、どこで詰まっているのかを読み取ります。相手が自分の口で成熟度を言う前に、こちら側で見定めていました。

そのうえで、タイミングを見計らって、担当部品の周りの形状を先に固めていきます。手戻りが出ることを覚悟しながら、それでも、手戻りを最小限に抑えるための判定を、常に走らせていました。

形がない状態で動く仕事です。設計図はまだ引かれていません。中身がまだ決まりません。それでも、決められることは決めていく。周辺部門に必要な情報を、まだ形になっていないものから抽出して、渡していきます。頭のなかには三次元の像がありました。3DCADがまだ主流ではない時代の話です。二次元の図面を書きながら、頭のなかでは立体を組み、必要な部分の解像度だけを上げて、その断片を書き出し、渡し、受け取り、また組み直す。

他部署の人と気持ちよく仕事をしないと、話は進みません。二人はそれを分かっていて、常に会話を欠かしませんでした。上からも下からも慕われていて、いつも前を向いていました。属人的な判断ではあったので、ブレることも、公平でないこともあったと思います。それでも、標準の物差しの外にある人が、たしかに見えていました。

そういう仕事ぶりだったので、二人は、他部署からの引き抜きが絶えませんでした。次のステップへ、次のプロジェクトへ、と請われていき、二人は前線を去っていきました。私は、その後釜として、同じ立場で仕事を続けました。

二人がいなくなった頃から、会社が少しずつ変わっていきました。

現場を体感していない層が、上に増えていきました。以前、大切にされていた「尖った特性を持たせる」という価値基準が、少しずつ書き換えられていきました。品質、効率、利益——数値で測れるものが、判断の軸になっていきました。標準化のための型が、いくつも導入されました。

導入された型は、必ずしも現場に馴染むものではありませんでした。既に自分なりの回し方が身についている人たちにとって、型の導入は、しばしば摩擦を生みました。現場は現場で、型を教科書通りには使わず、独自の形に変えて回すようになりました。それで大きな問題は起きないので、型と現場の間には、静かな乖離が広がっていきました。

やがて、周りが均質化されていくなかで、私自身の位置づけも変わっていきました。

複雑な設計が必要な場面では、「彼が行けば何とかなる」「彼に任せておけばいい」という扱いになりました。頼りにされているといえば、そうです。しかし、その頼りにされ方は、私を次のステップに引き上げるためのものではありませんでした。私を、その位置に固定しておくためのものでした。他部署からの引き抜きの声はかかりません。かからない理由も、なんとなく分かっていました。引き抜くと、後任がいない。仕事が回らなくなる。だから、動かせない。

同じことができていた先輩たちは、その仕事ぶりゆえに、引き抜かれて、次のステップへ進みました。私は、同じ仕事ぶりゆえに、動かせない道具として、そこに固定されました。同じ「見えている」という状態が、時代によって、正反対の方向へ人を運びます。

かつては、見える人は、引き抜かれる形で消えていました。それは、次の場所で見える力を使うための、前向きな消え方でした。今は、見える人は、道具化される形で消えます。動けなくなる形で、視界から消えていきます。消える方向が、反転しています。

見えていた時代は引き抜かれて消え、見えなくなった時代は道具化されて消える。消える方向が反転している構造

まとめ 型は、外側を消していく

  • 型は、型の外にあるものを含まない
  • 忠実に運用するほど、外側は視野から抜け落ちる
  • 抜け落ちた部分は、現場の誰かが黙って肩代わりする
  • 肩代わりされたベースの上を、型を回す側は飛び越えていく
  • 評価は、可視化された動きだけを拾い、外側の労力は物差しに乗らない
  • 昇進経路と現場判断は別軸で育つため、型への依存は静かに深まる
  • かつては「見える人」は引き抜かれて消えた。今は道具化されて消える
  • 消える方向が、反転している

解決策は、この記事にはありません。型を外せ、と言うつもりもありません。型には、型の効き目があります。そこは疑っていません。

ただ、型だけを見ていると、外側にあるものは見えなくなります。かつては、見えていました。今は、見る枠組みそのものから、その眼が消えました。消えた眼は、動かないうちは、誰にも気づかれません。橋が落ちて初めて、点検者の価値が分かるのと同じです。

見えていた側の眼が消えるとき、多くの場合、消えたことにさえ気づかれません。この構造をどう扱うか。それは、動いた経験のある人だけが、自分の場所で決めていくことなのだと思います。


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ABOUT ME
一松(いちまつ)
一松(いちまつ)
大学院(機械工学専攻)修了後、機械設計エンジニアとして設計一筋20年
大学院(機械工学専攻)修了後、製造業で機械設計に従事。20年以上、動力機器の設計開発に携わっています。現場の知見から「考えるための情報」を発信しています。
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