一案しか出さなかったので、捨てられなくなりました
検討会で、自分の出した案が否定されたときの話です。
技術的には、どちらでも成立していました。相手の案でもたぶん問題は起きない。それはその場で分かっていました。
指摘の中身ももっともなものでした。自分が出した案だと組立の順番が一つ増える。言われてみればそのとおりで、後から図面で吸収できる範囲の話でもありません。
それなのに、私は引けませんでした。
あとから理由を考えました。これは、技術の話ではなく感情の話だったのです。
一案だけ持っていくと、その案が自分になります
当時、私が準備だと思っていたのはこういうことです。
検討会に出す前に一番いいと思う案を一つ選ぶ。想定される質問にあらかじめ答えを用意しておく。穴が見つからない形にしてから持っていく。
これは案を一つに絞り込む作業です。準備をするほど、場に出るものが一つになります。
案が一つしかないと、その案への否定は案を出した人への否定と同じ形になります。相手にそんなつもりがなくても、受け取る側の感情がそうさせます。
だから、守りに入ります。
案ではなく、自分を守るために根拠を後から足します。そして後から足した根拠もたいてい成立してしまいます。設計の判断軸は複数あるので、どれか一つを持ってくれば、自分の案が有利になる理屈は作れます。剛性で不利なら加工で有利だと言えばいい。組立で不利なら量産コストの話にすればいい。
そうやって二往復もすると、もともと何を決めたかった場なのかが誰にも分からなくなります。
決まらないまま時間だけが過ぎて、結局次回持ち越しになります。

捨てるのにかかっているのは、別のコストです
案を捨てること自体に技術的な難しさはありません。線を消せば済みます。半日で描き直せる段階なら手間もたかが知れています。
かかっているのは、別のコストです。
自分から取り下げるとそれまでの発言と食い違います。前回の説明が甘かったことになります。すでに話を通してある相手にはもう一度説明し直すことになる。
ここでは、これを捨てるコストと呼びます。技術的な正しさとは別に、取り下げる側だけにかかるものです。
コストの大きさは、その案がどこまで外に出たかで決まります。自分のノートの中にあるうちは、ほぼゼロです。口頭で説明した相手が一人いれば、その一人に言い直す手間。日程表に載って、他部署が自分の予定をそこに積んだあとなら、もう自分だけの問題ではありません。
そして、このコストは人によっても違います。
若手は安いです。取り下げても失うものがまだ多くありません。
中堅から上は高くなります。過去に自分が決めたことが実績として積み上がっているからです。目の前の一案を引っ込めることが、それを選んだ自分の判断まで疑うことに繋がります。
若手のほうが素直に見えることがあります。私は長いあいだ、理解が速いからだと思っていました。本当のところは捨てるのが安いだけだったのかもしれません。
そう考えると、指導しようとする側が痛めつけられる構造にも、少し違う見え方が出てきます。中堅が受け付けないのは、分かっていないからではない。分かるほど引っ込めるのが高くつくからです。
説明を足しても、コストは下がりません
ここが厄介なところです。
捨てられない相手に対して、私たちはたいてい説明を足そうとします。なぜその案では成立しないのか、丁寧に、資料まで作って説明する。
しかし、コストの問題であれば、説明では相手のコストは下がりません。
自分の案を取り下げるべき理由を、正しく、分かりやすく説明されたところで、取り下げる痛みは変わらないからです。むしろ、説明が正しいほど、引き下がる姿が負けに見えます。だから反発が強くなります。
私はこれを、受ける側でも何度も経験しています。説明を聞いて、内容にも納得して、それでも引き下がりたくない。そういう状態は普通に起こります。納得と、取り下げられることは、別々に動きます。
意識を変えにいくのはあきらめたほうがいいと思っています。
代わりに、形式を変えます。
捨てると思わせなければ、コストは下がります
四つあります。どれも、本人の意識には触りません。
案を二つ出す。 これがいちばん安くて、効きます。一案だと、選ぶのは案を出した自分になります。二案あれば、選ぶのは目的のほうです。取り下げが「負け」から「選択」に変わります。二つ目は雑でかまいません。むしろ、両方を成立させようとして時間をかけると、二つとも捨てられなくなります。
人にやってもらうときは、注意が要ります。二案目を宿題にすると、次から相談に来なくなります。作業が一つ増えるからです。その場で口頭で足してもらう、裏紙に線を引いてもらう。それで足ります。捨てる前提の案に清書は要りません。
仮と書く。 仮と書いてあるものを変えるコストは、ほぼゼロです。参照する前の図面に「仮」と入れておくだけで、後で動かすときの説明が要らなくなります。新規の設計は仮置きの連続なので、仮置きの語彙を持っていないと一手目が置けません。決める根拠が揃うのはたいてい決めたあとです。
場の冒頭に、目的を文字で置く。 目的が部屋の中心に書いてあると、主張を引っ込めることが目的への貢献に見えます。書いていないと、中心に座るのは発言者になります。ホワイトボードの隅に一行あれば足ります。
残らない場所を選ぶ。 議事録に残る会議では、撤回そのものが記録されます。立ち話、ホワイトボード、消せる場所。地味ですが、効きます。まだ動いている案を、記録の残る場に早く上げすぎない、という判断も含みます。

中堅には、条件の更新という言い方を先に置きます
もう一つ、相手が中堅以上のときだけ必要になるものがあります。
過去の判断を否定せずにそこから移れる経路です。
「当時の条件ならそれが正解だったと思います。でも、今は何か変わっているのではないでしょうか。」
この一言を先に置くと、撤回の意味が変わります。間違いを認める話から、条件を更新する話になります。実際、当時の条件では正解だったことのほうが多いはずです。生産量が違った。設備が違った。要求される寿命が違った。
私は、この言い方を人に教わったわけではありません。自分が上位者に何かを言うとき、そうしないと通らなかったので、そうしていただけです。相手の判断を残したまま前提だけを動かす、という形です。
同じことを、若手に対してやる必要はありません。彼らには守るべき過去がないので、そのまま言えば通ります。ここが、伝え方を相手によって変えなければならないポイントです。
自分の主張にも、同じことを当てます
最近、こういうことがありました。
ある対策をまとめていて、効果を三つ書いていました。そのうちの一つについて、「それは効かないのではないか」と指摘を受けました。
因果を分解すると指摘のほうが正しい。私の打ち手はその効果につながっていなかったのです。
なので、その一つを削りました。それだけならただの訂正です。
そのうえで、削った項目について「これは効果がありません」と自分から書き足しました。資料としては主張が一つ弱くなります。
それでも書いたのは、判断の基準が「自分が主張したい」ではなかったからです。欲しかったのは『出したあとに崩れない資料』でした。『通りやすい資料』ではありません。効果がないと自分から書いておけば、実際に効かなかったときに、他の項目まで疑われずに済みます。
このとき、捨てるコストは安く済んでいます。守っていた対象が『自分の資料』ではなかったからです。『対策が効くこと』のほうでした。
目的が自分の外にあると、捨てるコストは下がります。
逆に言えば、捨てられなくなっているときは、目的が自分の内側に移っている可能性があります。さらに、その入れ替わりは静かに起きるので渦中では気づけません。気づけるのは、自分が根拠を後から足しはじめたときです。それが合図になっています。
この方法が効かないところ
形式でコストを下げられるのは、図面が出るまでのあいだです。
型が動いたあと、評価が始まったあと、他部署が自分の日程を積んだあと。そこから先の捨てるコストは、形式では下がりません。実費と日程の話になるからです。
つまり、安く捨てられる期間は着手直後の短いあいだしかありません。二案を並べるならその時期にやる必要があります。工程が進むほど正しく捨てられなくなり得るということです。
もう一つ。捨てるコストが下がっても、案が良くなるわけではありません。
下がるのは、回転の速さだけです。捨てられるようになると、間違った案を早く手放せるようになる。それだけのことなので良い案が出るかどうかは別の能力です。ここを混ぜてしまうと、案を捨てて回ること自体が目的になります。
まとめ 捨てられないのは、能力の問題ではありません
- 一案だけ持っていくと、案への否定が人への否定になる
- 捨てられないのは、能力でも意欲でもない。感情は確かに動くが、動かしているのは取り下げる側だけにかかるコスト
- コストは中堅ほど高い。過去の判断が実績と結びついているため
- 説明を足してもコストは下がらない。下げるのは形式のほう
- 二案を出す、仮と書く、目的を先に置く、残らない場所を選ぶ
- 中堅には「当時は正解、何か変わっていないか」という、考えを自問させる前提を先に置く
- 目的が自分の外にあると、捨てるコストは下がる
- 根拠を後から足しはじめたら、目的が内側に移った合図
- 安く捨てられるのは着手直後だけ
技能伝承の記事で、若手に問い返す言葉として「捨てた案は」と書きました。
実際に聞くと、答えが出てこないことがあります。隠しているわけではありません。本当に一つしか作っていないのです。作らなかった理由をたずねると、一番いいものを持ってくるのが仕事だと思っていた、と返ってきます。
私が準備だと思っていたものと、同じでした。
書いたあとで気づいたのですが、あの問いは自分にも返ってきます。捨てた案を言えないとき、たいてい私は一案しか作っていません。
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