設計一般

トルクは出てるんだろ、で終わった報告

ichimatsu

ボルトが緩みました。

原因の見当はついていませんでしたが、疑わしいところは分かっていました。軸力です。締結の設計をしていれば、最初に確認する場所です。

上司に報告しました。軸力を確認しに行きます、と。

トルクは十分出てるんだろ。じゃあ問題ないじゃないか。ねじ固着剤をつければいいじゃないか。

そこで終わりました。三十秒ほどだったと思います。

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上司は、間違っていません

先に書いておきます。この上司は、嘘をついていませんし、投げ出してもいません。

トルクは、実際に管理されていました。規定値で締められている。記録も残っている。述べられたのは事実です。

そのうえで、対策まで出しています。緩んだのだから、回らないようにすればいい。話の筋は通っています。

問題は、その筋がどこまで届いているかでした。

トルク管理は、軸力を保証しません。

締め付けトルクの大半は、摩擦で消費されます。ねじ座面で約50パーセント、ねじ山で約40パーセント。ボルトを伸ばして軸力に変わるのは、残りの1割程度です。しかも摩擦係数は、表面の状態、潤滑の有無、座面の当たり方でばらつきます。同じトルクで締めても、発生している軸力は揃いません。「ボルトはトルクで締まる」は誤りで書いたとおり、トルクが出ていることは、軸力が出ていることの証明になりません。

そして、緩みには二種類あります。

ねじが回ってしまう緩みと、回らないまま軸力が抜けていく緩みです。座面が塑性変形する。当たり面がへたる。部品が沈み込む。ねじは一度も回っていないのに、締結力だけが失われていく。この二つ目については、回らないのに緩むボルトで詳しく書きました。

固着剤が効くのは、前者だけです。

もし後者だったなら、塗ったところで軸力は戻りません。ボルトは回らなくなりますが、締結は成立していないままです。そして、緩みという症状だけが消えます。

つまり、あの提案は、対策として成立する可能性もありましたし、症状を隠すだけになる可能性もありました。どちらなのかを分けるのが、軸力を測るという行為でした。

その一手が、そこで止まりました。

締め付けトルクの行き先と、二種類の緩み

軸力という概念を持っていなければ、回らない緩みは存在しません。存在しないものは、対策の候補にも上がりません。

その前提を共有していない相手に対して、私は反論する手段を持っていませんでした。

言葉が通じないのではありません。日本語は通じています。トルクという単語も、緩みという単語も、共有されている。

共有されていなかったのは、その二つを結ぶ概念でした。

説明が下手だったのか

しばらく、自分の説明が悪いのだと思っていました。

求められたのも、そこでした。中学生でも分かるように説明しろ、と何度も言われました。

だから、丁寧に説明しました。摩擦の話から始めて、トルクと軸力の関係を、順を追って。

すると、途中で遮られます。

だから結局どういう事だ。

いま整理すると、この二つの要求は両立しません。

中学生に分かるように話すには、時間がかかります。前提のない相手に理解してもらうには、基礎から積み上げる必要がある。それが噛み砕くという作業の中身です。

求められていたのは、平易さではありませんでした。短さでした。

同じ「分かりやすく」という言葉で、違うものを指していた。だから、何度やっても噛み合わなかったのだと思います。

短く答えるだけなら、できます。軸力が足りていない可能性があります、で止めればいい。

ただ、そう答えた瞬間に、なぜそう考えたのかが落ちます。根拠が落ちたまま判断されると、確かめる工程が省かれます。省かれたことは、報告した側からも見えません。

結論だけを渡す話し方は、相手が前提を持っているときには効率的です。持っていないときには、根拠のない主張と区別がつきません。

若手には、渡っていきました

自分の説明能力の問題ではないと分かったのは、若手に対しては成立していたからです。

同じ締結の話で書きます。

ボルトの締め方は、トルクで管理する方法だけではありません。角度法という方法があります。ある程度まで締めたところから、決められた角度だけ回す。締め付けの管理を、力ではなく回転量で行うやり方です。

これを理解するには、ねじを根本から捉え直す必要があります。ねじが何をしている部品なのか。回転が何に変換されているのか。ボルトを、締結部品ではなく、引き伸ばされているばねとして見られるかどうか。そこが分かっていないと、なぜ角度で管理すると軸力が安定するのかが分かりません。

応用ではなく、原理の側の話です。

上司に、この原理を説明したことは一度もありません。説明できる場がなかったからです。簡潔に結果を述べろと言われる。説明を始めれば、途中で止まる。だから、最初から持っていきませんでした。

若手は、逆でした。

食いついてきます。それまで持っていなかった概念で、しかも、それが分からなければ設計ができない。分かる必要が、目の前にある。だから、分かるまで聞こうとします。

こちらも、難しいことは承知しているので、時間をかけて説明します。受け取る側に受け取る準備ができているので、渡しやすい。そこに工数をかけることを、渡す側も受け取る側も、誰も無駄だとは思いませんでした。

同じ内容です。同じ人間が説明しています。

違ったのは、受け手がそれを必要としていたかどうかでした。

若手は、それがなければ設計ができません。上司は、それがなくても仕事が回ります。日程を引き、工数を配り、進捗を確認する。そこに、ねじの原理は要りません。

だから渡らなかった。理解力の差ではなく、必要の差です。

そして、これも書いておきます。設計判断は、渡せます。作業のように撮影はできませんが、言葉にはできる。時間さえかければ、渡ります。

渡らなかったのは、上でした。

なぜ上司には渡らないのか

ここで、上司個人の話をするつもりはありません。

私が若手のころに上司をしてくれていた人たちの多くは技術者でした。技術の話をして、前提がずれることはありませんでした。

中堅以降になって、上司になる人の多くが采配する人でした。関心の中心は、日程と工数とコスト。課題の技術的な難しさや、どこが勘所なのかは、仕事を回すうえでは二番目になります。

これは、責められることではないと思っています。

世の中のマネジメント論も、その方向を推奨しています。細部は担当者に任せろ。管理職は一段上の視点を持て。

平常時には、それで回ります。担当者がまとめてくれるなら、上が細部に立ち入る必要はありません。

むしろ、細部に入りすぎる上司の下では、担当者が育ちにくくなります。判断そのものを取り上げてしまうからです。任せる運用に切り替えたこと自体は、間違っていないと思います。

問題は、平常時ではないときです。

いつも通りでないことが起きて、上位が前に出なければならなくなったとき、そこに技術判断ができる人がいない。原理に沿って考えれば筋道の立つことが、課題だ、大変だ、という騒ぎになる。

そういう場面を、何度か見てきました。

これは能力の問題というより、運用どおりの結果だと思います。細部に立ち入らない運用を続ければ、細部を判断する力は維持されません。当然のことが、当然に起きているだけです。

見えない欠員

いちばん厄介なのは、ここからです。

技術判断ができない人が技術部門の判断席にいることは、平常時には問題として現れません。

日程は引かれています。工数も配られています。会議も回っている。書類の上では、何ひとつ欠けていません。

欠けていることが分かるのは、判断が必要になった瞬間だけです。そのときには、もう遅い。

私の報告は、あの三十秒で終わりました。

そして、たぶんここが一番重要なのですが、あの報告が通らなかったという事実は、どこにも記録されていません。

いや、正確ではありません。記録は残ります。緩みが発生し、固着剤で対策され、以後は再発しなかった。書類の上では、対策が完了した案件です。

軸力を測らなかったこと。測っていれば別の結論になったかもしれないこと。そこは、どこにも書かれません。判断が上がらなかったという事実だけが、きれいに消えます。

対策の記録は残り、判断が上がらなかったことは残らない

対策として正しかったのかもしれません。回る緩みだったのかもしれない。ただ、それを確かめないまま、確かめなかったことも残らないまま、案件は閉じました。

思い当たる案件が、あるかもしれません。確かめるべき一手が、確かめられないまま閉じたもの。閉じてしまえば、確かめなかったことは誰の目にも触れません。次に同じ現象が出たときには、前回と同じ対策が、前例として選ばれます。

誰が技術判断を持つのか。それが役割として決まっていないと、こうなります。判断できない人がその席にいても、欠員として認識されない。誰も、席が空いているとは思わない。

図面に描かれていないものは、公差解析に乗りません。

技術判断も、同じでした。

まとめ 渡らなかったことは、残らない

  • トルク管理は、軸力を保証しない。締め付けトルクの9割は摩擦で消える
  • 緩みには、ねじが回る緩みと、回らないまま軸力が抜ける緩みの二種類がある。固着剤が効くのは前者だけ
  • どちらかを分ける一手が、軸力を測ること。その一手が止まった
  • 概念を共有していない相手に、前提のずれは説明できない
  • 下には渡り、上には渡らなかった。理解力の差ではなく、必要の差
  • 細部に立ち入らない運用を続ければ、細部を判断する力は維持されない。運用どおりの結果
  • 技術判断の欠員が現れるのは、判断が必要になった瞬間だけ
  • 対策の記録は残る。判断が上がらなかったことは、残らない

あの三十秒を、私はずいぶん長く、自分の説明の問題として抱えていました。整理してみると、説明の手前で決まっていたことのほうが多かった。

では、記録に残らないまま組織を成立させていたのは、誰だったのか。その話は、気づかれずに成立させることを、腕だと思っていましたに書きました。


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一松(いちまつ)
一松(いちまつ)
大学院(機械工学専攻)修了後、機械設計エンジニアとして設計一筋20年
大学院(機械工学専攻)修了後、製造業で機械設計に従事。20年以上、動力機器の設計開発に携わっています。現場の知見から「考えるための情報」を発信しています。
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